習志野高時代、3年夏は千葉大会準決勝で敗れベスト4。高校通算11本塁打。
1989年オフにドラフト外でヤクルトスワローズに入団 。ヤクルトでは当時の野村克也監督にリード面などを叩き込まれ、自身も毎日試合後に野村が行うミーティングでの講義を熱心に聴き、右腕が痛くなる程ノートに写すなど積極的にその技術を取り込もうとした。
1998年 日本ハムファイターズへ交換トレードで移籍。監督推薦でオールスターに初選出。
1999年 正捕手として130試合に出場。5月には自身二度目のサヨナラ安打を放つ。
2000年 日本ハムの捕手として規定打席到達して最高の打率.298を残し「ビッグバン打線の恐怖の8番」と言われた。同年は松井稼頭央と同数のリーグ最多三塁打(11本)を放ち、得点圏打率もリーグトップ、盗塁阻止率は.423を記録した。二度目のオールスターゲーム出場。
2003年 トレードで阪神タイガースに移籍。
2004年 10月4日対広島戦で井川慶とバッテリーを組んでノーヒットノーランを達成。
2007年 上園啓史が先発する試合を中心にスタメン出場した。打撃好調で規定打席不足ながら打率.351、出塁率.398を記録。
2008年 前年の上園とのコンビもあって「若い投手を頼む」と言われスタート。前半戦は上園、岩田稔、ライアン・ボーグルソンらが先発する試合でスタメン出場。
同年に再取得したFA権を行使し、横浜ベイスターズへ移籍。
2009年 キャンプ終盤に右肩の腱を断裂してしまい、それを隠したままシーズンインとなった。開幕戦こそスタメン出場だったが、新人の細山田武史が正捕手に抜擢され、野口は4月後半には控えに回ることとなった。
2010年10月4日には戦力外通告を受け、トライアウトに参加するも、獲得する球団はなく現役引退。
引退後は東京都内で子ども向けの野球教室を運営し、ヘッドコーチを務めた。
2012年からは『J SPORTS』のメジャーリーグ中継で解説を務めている。
2017年シーズンから、ヤクルト2軍バッテリーコーチに就任。
2018年は1軍バッテリーコーチを務めた。
ヤクルト退団後の2019年は、CS系の野球解説者に復帰している。
2020年 PAMS BASEBALL Academy 講師
1971/6/24生
183 cm/77 kg
リーグ最多三塁打:1回 (2000年)
リーグ得点圏打率1位:1回 (2000年)
オールスターゲーム出場:2回 (1998年、2000年)
ヤクルトスワローズ (1990 – 1997)
日本ハムファイターズ (1998 – 2002)
阪神タイガース (2003 – 2008)
横浜ベイスターズ (2009 – 2010)
コーチ:東京ヤクルトスワローズ (2017 – 2018)