桐蔭学園高校では遊撃手を務め、3年時には主将として第79回全国高等学校野球選手権大会に出場。
2002年にオリックス・ブルーウェーブに入団。
2005年は大阪近鉄バファローズとの球団合併。オールスターゲームにも出場し、新人賞を受賞した。
2006年、ファウルフライを深追いし一塁フェンスに激突。打球は捕ったが胸部軟骨損傷、右腰の肉離れ、手首と右股関節の捻挫などの大怪我を負う。
2008年に阪神に移籍。リーグ最多の47犠打を記録。セントラル・リーグのカムバック賞を受賞した。
2010年シーズンでは二塁を中心に外野3ポジションも守るユーティリティーな活躍を見せて、前年の自己最多を更新する139試合に出場してリーグ2位の打率.350、左打者ながら対左投手の打率は.399を記録した。球団新記録となる59犠打を記録するなど二度目の最多犠打のタイトルを獲得。また、いずれも自身初となるベストナインとゴールデングラブ賞を二塁手部門で受賞した。オールスターゲームにも監督推薦で出場。
2011年 チーム事情により中堅手と二塁手と兼任で守ることになったが打撃ではリーグ5位の成績で二塁手として2年連続のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。
2013年 6年ぶり古巣オリックス・バファローズに復帰した。
2014年 開幕からスタメンで出場し、2番打者を任されいたが、6月以降は1番打者起用され攻撃・守備とも安定した活躍を見せ、チームを6年ぶりのAクラスに導いた。
8月20日には250犠打を達成。
2015年 開幕から二塁手としてスタメン出場したが、9月今シーズン限りでの現役引退を決意。この年のファン感謝デーで引退セレモニーが行われた。
引退後、古巣阪神タイガースの2軍守備走塁コーチに就任した。
2016年 阪神タイガースコーチ就任後は1シーズンにわたって2軍を指導した。その手腕を買われシーズン終了後、2017年より1軍打撃コーチに就任することなった。
2020年は二軍内野守備走塁コーチ、2021年は二軍打撃コーチを務めた。
2022年は、阪神時代のチームメイトであった林威助が監督を務める、台湾プロ野球・中信兄弟の打撃・内野総括コーチに就任した。
2024年からは同チームの監督に就任
1979/4/7生
169cm / 66kg
ゴールデングラブ賞2回(2010年、2011年)
オールスター出場3回(2010年、2011年、2012年)
東海大学
オリックス・ブルーウェーブ / オリックス・バファローズ(2002年-2007年)
阪神タイガース(2008年-2012年)
オリックスバファローズ(2013年-2015年)
阪神タイガース 2軍内野守備走塁コーチ(2016年)
阪神タイガース 1軍打撃コーチ(2017年-2019年)
阪神タイガース 2軍内野守備走塁コーチ(2020年)
阪神タイガース 2軍打撃コーチ(2021年)
台湾プロ野球 中信兄弟 内野統括コーチ(2022年-2023年)
台湾プロ野球 中信兄弟 監督 (2024年-)