宇治山田高校では2年夏の大会で県ベスト8、
3年夏には同校史上77年ぶりの全国大会出場を狙って決勝まで進出するが、三重高校にサヨナラ負けを喫し甲子園には出場できず。
大学は、青山学院大学に進学。
東都大学リーグ通算41試合登板、17勝7敗、防御率3.17、154奪三振。
3年生春に7勝1敗で最優秀投手とベストナインに選ばれた。
1995年 ユニバーシアード福岡大会の代表メンバーにも選出。
1996年 福岡ダイエーホークスからドラフト4位指名で入団。
1997年 ジュニアオールスターゲームでMVPを獲得。
1998年 中継ぎで36試合に登板しプロ初勝利を挙げた
2004年 中継ぎ・谷間の先発とフル回転。特に先発では負け無しの7連勝を記録するなど9勝1敗、防御率2.55を記録。
2007年は一軍出場がなく現役引退。
引退後は球団のチーム運営部スタッフを経て、2009年に二軍投手コーチ補佐に就任した。
2011年からはチームの三軍制導入に伴い、三軍投手コーチに配置転換。
武田翔太・千賀滉大を育てるなど手腕を発揮。
2015年は二軍投手コーチ(チーフ)、2016年は一軍投手総合巡回コーチ、2017年・2018年までは一軍投手統括コーチ、2019年は一軍投手コーチ、2020年・2021年はファーム投手統括コーチを務め、同年限りで退団。
2023年 レンジャーズ傘下マイナー投手育成コーチに就任し、MLB初の日本人投手コーチとなった。
2024年 福岡ソフトバンクホークス 一軍投手コーチ兼ヘッドコーディネーター就任。
1974/9/15生
177㎝ / 85㎏
青山学院大学
福岡ダイエーホークス/福岡ソフトバンクホークス(1997年-2007年)
福岡ソフトバンクホークス コーチ(2009年-2021年)
テキサス・レンジャーズ コーチ (2022年-2023年)
福岡ソフトバンクホークス 一軍投手コーチ/ヘッドコーディネーター (2024年-)